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東洋を科学し、西洋を哲学するカイロプラクティック その理想と現実
1. 病は氣から
病とは体内外の全体調和・環境適応からの逸脱であり、つまりはホメオスタシス(恒常性)のエラーです。
また、病気は氣が病むと書きますが、まず初めに氣が変調し、次第に物質体が追随します。 全ては氣の持ちようで、病は氣から。 これが病の本質です。
氣が元に戻ると元気になります。 氣は精神(気持ち)を含めた心身や体内外の生命エネルギーです。 大病、中病、小病とありますが、ヒポクラテスは「自然(摂理)に近づくと病気は遠ざかる、また、自然(摂理)から遠ざかると病は近づく」と言いました。
2. 大自然(体外)経由の氣と体内(丹田)経由の氣
氣というと超自然的な世界のもので目に見えない掴みどころのないものというイメージがあるかもしれませんが、確かに大自然の氣(荒神様)は人間には少々荒々しく、また粗いので人間に取り込みやすく変換する必要があります。
私見ですが、松果体は氣の受信機(アンテナ) と思われ、サードアイとも呼ばれており、視床は大気から受信した荒いエネルギーを蓄える緩衝帯で、視床下部は膨大な荒いエネルギーを人体に適したエネルギーに下げて変換する変圧器とも考えられます。
そうして、氣は視床下部から背骨・骨盤、脊髄を通り丹田へ、そして神経(神氣の経脈)を通り全身へと流れていきます。
さらに、大地からの氣は足裏から入り、上行して丹田へ流れていきます。そして、丹田から全身へ巡ります。(外から氣を取り入れるという意味で外気功的流れ) さらに、四次元世界(神様の世界)の氣(生命エネルギー、螺旋状)が三次元世界(物質世界、人間界)へと転入し物質化します。
設計図として遺伝子DNAゲノムが発動し、現場への伝達要員としてホルモンが働き、現場の作業員として酵素が働きます。 また、体内で氣を練るのは臍下丹田であり、食物や大気(空気)から取り込んだ氣を丹田で耕し練り込みながら、養い増幅させます。 そうして、練り込まれた氣は体内全身を巡ります。(内気功的流れ)3. 氣(き)の真髄とは祈(き)、即ち祈りです
命の波とは波動であり共鳴、共振、振動、周波数の次元の話になります。
神経伝達は電気信号(波動刺激)によりますが、あらゆる臓器には固有の振動数、周波数があり、病気になると体の波動数が減ります。 ちなみにサブラクセーションは64Hzとのことです。
そして、氣(き)の真髄とは祈(き) 、即ち祈りです。 生命は実は波動(氣)で生まれ波動(氣)で営まれています。
さらに氣とは、実は神様の次元(四次元世界)のものであり、精神世界(高次の魂、仏様の世界)と物質世界を繋げてくれるリンクマンなのです。
治療家の方がよく陥ってしまうあり方として、氣(神様の力)を上から目線で取り扱おうとしてしまうという傾向があります。
確かに、意識を向けるとそこに氣が集まるという性質があり、我々の意識、意図(intention)によって本来、劇薬である氣を我が物顔で取り扱いがちです。
操作性の意図をもって、「自分が」の「我」で氣を操って患者さんを治そうとしてしまうのです。
しかし、あくまで自分は謙虚に真摯に氣(神様の力)を中継させて頂く媒体として、自分を使って頂くという奉仕と愛他(慈愛と利他)の祈り、即ち祈(き)というべき善なる無我のintentionが必要となるのです。
心、精神、マインド、想念などといったものは奉仕・愛他(慈愛と利他)に向けてその純度を高めて、研ぎ澄まされていくと祈り に集約、凝縮、結晶化されます。
祈りは奉仕、愛他が中心でないと濁ってしまい、その輝きや効験は失われてしまいます。
そして、その余殃は施術者に降りかかることになります。
「永遠とは人の想いだ 人の想いこそ永遠であり不滅(鬼滅の刃のお館様、産屋敷耀哉)」
「思考は現実化する(ナポレオンヒル)」
などとも言うように、祈り念じることは私達が思っている以上に実に様々な影響を及ぼすのです。
そして、治癒をさせていくのはあくまでその方のイネイト(自然治癒力 内なるブッダ)とユニバーサルインテリジェンス(大いなるブッダ)です。
マクロは宇宙(大いなるブッダ)、ミクロは量子(内なるブッダ)です。
4.「サブラクセーションを見て人を見ず」「症状(病)を見て人を見ず」
私達カイロプラクターが病や症状を治すのではなく、我々を創った力(大いなるブッダやイネイトともいう内なるブッダ)しか我々を治せないということを常に肝に銘じなければなりません。
本来的には、カイロプラクターは症状(フィクセーション・マイナー・構造ベース)や病をマニピュレートするのではなく、あくまでサブラクセーション(メジャー・生命力の阻害因子、特に脊柱・骨盤あるいは霊性、エネルギー系)をアジャストするのが本旨です。
部分最適(症状改善・対症療法)でなく全体最適(バランス ホメオスタシス)を志向していくのもカイロプラクティックの独自性であります。
ただし、理想論(原理主義的なウルトラストレートやメディコ過ぎるミキサー)だけでは現実的に経営が難しくなるケースが多く、それは患者さんの心や想いを置き去りにしていることが主なる原因と示唆されましょう。
私見ですが、ストレート系(エネルギーベース)だけ、あるいはミキサー系(構造ベース・症状ベース・鑑別分析)だけでは独善的になりやすいのは木を見て森を見ず、すなわち病(症状)をみて人を見ず、さらにはサブラクセーションを見て人を見ず、でありましょう。
当院では、サブラクセーション(生命力阻害要因・生氣ベース・メジャー・エネルギー系)をアジャストするストレート系とフィクセーション(症状ベース・マイナー・構造ベース・鑑別分析)をマニピュレートするミキサー系をツートラック(両輪)で同時進行します。
もちろん、サブラクセーションとフィクセーションが重なることもあります。
現代において、ミキサー系は特に患者さんとのラポールを築いていくのに有用です。
患者さんの状態や心境、信頼関係に応じてお心に向き合いながらサブラクセーション(メジャー・霊性エネルギーベース)とフィクセーション(マイナー・症状ベース・構造ベース)のバランス、割合を調整して、その方の治癒のフィードバックを最大限に引き出せる最適刺激量の範囲内になるべく収めるようなアジャストを目指しています。(過ぎたるは及ばざるが如しです)
これは、東洋医学的には本治法と標治法の共存と言えます。
本治法とは全体バランス調整による生命力ベースのストレート系であり、自然治癒力の向上を目指します。
また、標治法とは症状への局所治療による対症療法でありミキサー系と言えます。
当院の施術様式は、これまでの臨床経験を通して見出したもので、最大公約数的に最適刺激量に最適化された施術システムとなっております。
これはカイロプラクターの皆に当てはまるマニュアル的なやり方というよりかは、個別的、個性的に磨き上げたやり方であり、あり方(道)であります。
カイロプラクターは各々の施術道の開拓があるものと思います。
臨床修行の積み重ねの中から掴み取れる気づきであり、その人にしか出来ない独特な氣の通し方、即ちマニュアルではない誰にも真似できない個性的かつ独特なやり方やあり方というものがきっとあるのではないでしょうか。
5. カイロプラクティックの系譜、その密なる真実
歴史的にはパーマー系ストレート(生命エネルギーベース、むしろD.D的には霊性ベース)からカイロプラクティックは発祥したのですが、広く国際的に普及発展させていくためにナショナル系ミキサー(構造ベース)の流れが出来て、教育、研究などの科学と政治を推進してきたお陰で、現在のWHOにも認められた世界的なカイロプラクティックの発展があります。
なお、D.D.Palmerは創始者であり、かなりスピリチュアルな考えの持ち主でした。
よって原始のカイロプラクティックは生命エネルギーもありますが、より霊性ベースであり霊的そのものでした。
それを息子のB.J.Palmerが社会にもう少し受け入れられやすいように現在のストレート系カイロプラクティック(生命エネルギーベース)へと発展させました。
そこから、さらに世界に広げていくためにより科学、教育、研究、政治に特化したジョセフ・ジェンシーのナショナル系ミキサー(構造ベース)が分岐していきました。
しかし、どこまで行ってもカイロプラクティックは本質的にはズレた生命の波動、霊性を背骨を通してアジャスト(チューニング)することが原点(Origin)であり帰結だと信じます。
これは再現性(科学性・冷たい真実)だけで計れるものでなく、その時その瞬間にしかない生モノの温かい真実であり、秘める密なる次元の生きた本質(実践体験による神秘)なのです。
大事なので2回も口説いかもしれませんが、言葉や理論理屈で表せる顕なる次元(冷たい真実)を越えた、言外の言、理外の理であり、かつ生き物とでもいうべき密なる温かい(血の通った生きた)真実と言えます。
6. 天才D.D.Palmerの慧眼とその限界
B.J.パーマー以降に発展したカイロプラクティック哲学においては、患者を対象とした病気治しを否定しています。
その方が本来持っている自然治癒力を、本来通り発揮していただくことを目的とします。
一方、創始者であるD.D.パーマーは、 実は(肉体の病、あるいは霊性の)病を治すことにフォーカスしていました。
そもそも創始のきっかけが難聴患者に対する施術が著効したことは有名です。
D.D.の言説を紐解くと
彼の真髄は、肉体を介した霊魂の向上にあるといいます。
現世に生きる人間で霊性が完成している人はいませんし、霊性が全く病んでいない人はせん。
必ず因縁があります。
D.D.は、魂と肉体の分離、人々の心の分離という人類の病(霊性の病)を治療したかったのではないでしょうか。
さらには、カイロプラクティックを通してこの世に浄土を築きたかったのだと思います。
ここがD.D.独自の誰にも真似できない発想であり、かつ天才性の発露であったかと思います。
観ている視点が大きすぎます。
しかし、残念ながらこの偉大なカイロプラクティックの大道を霊性的相承や因縁切りの道の開拓の頓挫、ヒーリングアートの根源的な諸刃の剣問題を解決し完成するには至りませんでした。
あの世とこの世は相互リンクしており、
この世だけ浄土にしようという発想だけでは実は片手落ちであったのです。
口惜しいのですが、カイロプラクティックだけではあの世(霊界)までは救いを渡せないのです。
よって、いずれ必ず行き詰まります。
皮肉にもD.Dの意図するものとは違ったカイロプラクティックが世界的に流布されました。
7. カイロプラクティックはヒーリングアート
カイロプラクティックはCuring(治療)はHealing(治癒)の一部に含まれるとの立場なので、本来的には治療法というより、実際はヒーリングアートとも言えます。
「ヒーリングを行う際にはまず、
その問題を引き起こした原因を手放す覚悟があるかを本人に確認しなさい。」
とヒポクラテスは言います。
つまり、真の施術とは受け身だけでは成立しえず、本来的には双方に能動的であり、互いに時空を超えて霊的に、かつ瞬時に一つになっていく神秘的な体験であり、互いに痛みを伴いながらも心身を自らを能動的に研磨し、さらに内面の深い自己の気づきを得て執われを捨てようという覚悟が求められます。
しかしながら、普通はそこまでの覚悟には双方共に行けません。
問題や不具合や症状には原因となる背景、すなわちバックボーン(狭義に背骨、広義に生活習慣、深義かつ真義に因縁)があります。
バックボーンの変化なくして結果だけが魔法のように無くなる事はありえません。
また、無理に無くしたとしても代償として副作用が起きたり、別の形で問題が現れたりします。(症状がマーチします)
カイロプラクターは理想的にはバックボーン(メジャーサブラクセーションすなわち浅層~中層の因縁)をアジャストするという立場です。
さらに、カイロプラクターがアジャストしているというのは厳密には違うと思います。
ドクターから患者さんへの一方向ではなく
実は双方向、すなわちお互いがアジャストされるのが理想的には真のアジャストと言えます。
しかし、これはやはり理想論であり、実際の臨床現場ではそんな甘いものではなく、ここで問題となってくるのは、双方のメンタルブロックであったりラポール未形成、自他の背後霊の複雑さ、深層因縁への霊的介入の厳しさ・怖さ、霊和解の過酷さであり、簡単に方法論で自他不二一如のアジャストが成立するというのは全く臨床現場や霊界を理解してない理想論です。
そして、施術者側の霊的な器が大きくないと結局は相手の因縁に飲み込まれてしまいます。
むしろ、そうならないように背後の方々が必死に守ってくれているので、現実的には自身の霊的器に見合った患者さんが質・量ともに引き寄せられます。
8. 深層因縁は人間業では不可能
サブラクセーションの深い意味での真義は
separation from wholeness(一つなる全体からの分離)であり、理想的にはこれを我々カイロプラクター(あえてDoctor of chiropracticでなくChiropractorです)がアジャストして分離の統一を目指します。
私たちの魂はもともと一つに繋がれていますが、個々の心がバラバラに分離している状態です。
また、心と体が不完全に分離している方もよくおられます。
私は仏門の僧侶である故、カイロプラクターであり宗教家なので、この因縁の怖さ、苛烈さをよく理解しています。
まだまだ未熟で精進の途上ですが、因縁切りの道すじにおいて、氣(≒祈)を仲介させて頂いて、自分自身でお相手を救けるのでなく、大いなるブッダ(一つなる全体 法身 救い)にお相手を繋がせて頂く使命を強く自覚しております。
サブラクセーション(真義には因縁)の地層(前世、先祖、自身の過去から積み上げた業因縁、トラウマなど)を掘り下げていくと、層が減るほどに生まれた時の状態に近くなるため、生命体としての適応力・活力は高くなります。
よりハードな過去のトラウマや業因縁を掘り起こすこともあります。
浅層~中層まではサブラクセーションを掘り下げることは霊的器がある場合においては人間的な介入でもある程度できるかもしれませんが、深層因縁の浄化まではこれは人間業だけでは不可能です。
真如の法の介入と双方の真の覚悟が必要となります。
9. 目の前の患者さんから、家庭、地域、社会、世界、宇宙(マクロとミクロ、あるいはあの世とこの世)の平和、融和和合を目指して
以上、とうとうと偉そうに宣ってまいりましたが、私自身はまだまだ未熟で精進の途上です。
諸先輩方にお教え頂いたことや自身の臨床修行での気づきをまとめて申し上げている次第です。
敬愛する師の言葉を最後にお贈りします。
「成ろうと成るまいと世界平和の大理想に向かって私という人格を磨いていくことが菩薩行である。」
目の前の患者さんから、家庭、地域、社会、世界、宇宙(マクロとミクロ、あるいはあの世とこの世)の平和、融和和合の祈りを拡げて、身近なところから自分にできる利他の行いを、カイロプラクターとして、一人の人間として、生涯貫いていきたいと存じます。
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